〜大道芸人SOLA芸道20周年〜
2025年は私がパフォーマンスを始めて、丁度20周年になります。
思えば、中学の恩師にあこがれて学校の教師を目指したのがきっかけ。
子ども達に気に入られるような特技が欲しいとジャグリングに手を出した2005年がすべての始まりでした。
大学生活をしながら、時にボランティアで幼稚園を巡業し、時にはバイト代わりにお金を稼いでいました。
卒業して学校の先生になった後も、片手間で公演を続けていました。
ですが、全身で芸にぶつからなければ、辞めた方がよいと感じ、校長先生に頭を下げて辞めさせて頂きました。
そこから大道芸人SOLAとしてプロ活動を始めました。
沢山の波乱もありましたが、
結婚し、子供も生まれ、気づけば舞台に立って20年。
始めたころからは想像できないほど続けることができています。
「この20年で関わった人たちに感謝を伝えたい。」
「20年辞めずにトレーニングとパフォーマンスを続けた僕を褒めてほしい。」
その思いで、
【大道芸人SOLA芸道20周年】
と銘うちまして、イベントを行いました。
その記録をこのページを特設サイトと致しまして保存しております。
●20周年記念公演情報


2025年9月6日【阿倍野区民センター】にて開催いたしました。
軽い気持ちで舞台に立ってから気づけば20年。
大道芸人SOLAの現在地のショーをここまで支えてくださった皆様に披露する場を設けました。
何もわからないヤツが何もわからず荒波にもまれ、
死ぬ気でトレーニングして、全力でショーをしてきた僕の20年の現在地を公演いたしました。
また、右往左往もがいた軌跡【20年の年表】【僕の古い写真】】なんかも入り口や会場内に展示しておりました。
アマチュア時代の仲間、僕を支えてくださった人、僕を応援してくれた人、僕の事を特によく知らない人、沢山の方にご覧いただきとても嬉しかったです。

-------------公演情報-----------
<開催日>
2025年9月6日(土)
<公演場所>
阿倍野区民センター 小ホール
---演目1時間20分+体験30分(予定)---
<公演内容>
●大道芸人SOLAショー2025
●ショーの後にジャグリング体験を用意しています。
●本物の玉乗りの玉に乗ってSOLAとお写真を撮れます。
(実際とは違い、安全の為に玉は動かないようにしています。)
●ここでしか買えない限定グッズも販売しています。
●SOLAの20年の軌跡を会場に展示しています。

〜SOLAの変遷〜
- 2005年4月頃・・・ジャグリングサークル【GPD(芸大パフォーマンスドール)】に加入してジャグリング(シガーボックス)を始める。
- 2005年5月頃・・・お手玉を始める。
- 2005年7月頃・・・GPDの新人【悪ピエロ ゴルゴンゾーラ】として初舞台。
- 2005年7月頃・・・フラッグ、デビルスティック、ディアボロ、シェーカーカップ、クラブ、皿回し等ジャグリングの技が増える。
- 2005年8月頃・・・GPDのメンバーとして大阪近郊の幼稚園などでの公演に参加し始める。
- 2006年2月頃・・・ローラボーラなどのバランス芸の技が増える。チキンマンも覚える。
- 2006年5月頃・・・ピエロでない一人での大道芸ショーを始める。
- 2007年3月頃・・・手縛り脚縛りナイフ投げを始める。トリネタとしてしばらく行う。
- 2007年4月頃・・・【大道芸人SOLA】を名乗り始める。
- 2008年8月頃・・・セミプロ活動を始める。
- 2009年3月頃・・・GPDを引退。卒業間際まで出演していた。
- 2009年3月頃・・・大津の大道芸ライセンスを取得。
- 2009年4月頃・・・奈良県十津川村にて美術の先生として赴任。人が足らなすぎて、技術科と特別支援学級担当する。やったことない野球の副顧問になる。マムシ処理も担当する。
- 2009年7月頃・・・アマチュア活動として大道芸を続ける。
- 2009年8月頃・・・スティルト(高脚)を始める。夏休み人が少ないのを利用して仕事の傍ら校庭で練習する。
- 2009年10月頃・・バルーングリーティングを本格的に始める。
- 2010年4月頃・・・先生を辞めてプロの大道芸人として活動を始める。
- 2010年5月頃・・・イベント会社からの仕事を受け始める。【大道芸人】という名前なのにイベント芸人へと歩を進めていくことになる。
- 2010年12月頃・・バルーンアーチを始める。
- 2011年5月頃・・・フラフープを始める。1年ぐらいフラフープしながらクラブを投げるネタをする。
- 2011年6月頃・・・働いていた学校が閉校になる為、学校最後の運動会に呼んでもらいショーをした。
- 2011年11月頃・・子供ジャグリング教室開始。
- 2012年5月頃・・・ゴールデンウィーク明けにハードな練習をして、ぎっくり腰を発症。長く付き合う。
- 2012年8月頃・・・パイプ椅子バランスを始める。長らくトリネタとなる。
- 2012年10月頃・・バイク、電車移動をやめ、車移動主体になる。
- 2013年2月頃・・・大道芸人SOLA単独イベント
- 2012年3月頃・・・信貴山のどか村でショーを始める
- 2012年4月頃・・・ハットジャグリングを始める
- 2013年6月頃・・・堺のホタル観賞会に参加し始める。コロナまで6年間毎年公演を行う。
- 2013年9月頃・・・反響は良かったが、予算削減により子供ジャグリング教室終了
- 2014年7月頃・・・新日本海フェリー船内パフォーマンスに参加し始める
- 2015年7月頃・・・10年ずっと持病だった練習のしすぎのテニス肘が結婚して練習時間を減らしたことで完治する。
- 2016年2月頃・・・奄美大島の【奄美パーク】でショーをする。現在までSOLAの最南端ショー。
- 2016年4月頃・・・ここから3年ぐらいバルーンの仕事がめちゃくちゃ増える。
- 2016年9月頃・・・ここから2年ほど携帯会社の販促の仕事が増えて、ちょっと悩む。
- 2016年4月頃・・・10km、20km走を練習に入れ始める。3年ぐらい続ける。
- 2018年8月頃・・・玉乗りを始める。
- 2019年4月頃・・・ローラーけん玉を始める。
- 2019年8月頃・・・生駒山を走り始める。 現在まで続けている。
- 2019年11月頃・・本格的に筋トレを練習に取り入れだす。体が大きくなり「太ってないです筋肉付けてるんです」とずっと言い続けることになる。
- 2020年2月頃・・・コロナウイルス蔓延により仕事が激減しだす。
- 2020年6月頃・・・神戸中華街で中華を食べて帰る自転車で100km走を始める。現在まで続けている
- 2020年8月頃・・・仕事がないので本格的にチップメインのショーを始める。
- 2020年8月頃・・・ショー回数を増やしたことにより足底筋膜炎を発症。仕事が回復するまで1年続く。
- 2021年3月頃・・・「コロナで仕事なくなって塞いでたけど、ショーで元気貰った」と言われて、人が元気になるショーがしたいと思い、ショーが元気モリモリうるさくなりだす。
- 2022年7月頃・・・大日本プロレス【大阪サプライズ60〜STORONG WORLD〜2022】セミファイナル大道芸人SOLAプレゼンツBJW認定タッグ選手権試合
- 2022年7月頃・・・和歌山マリーナシティ―のコミカルパフォーマンスショーに参加し始める。
- 2022年9月頃・・・児童発達支援放課後等デイサービス【えがおの玉手箱】に参加し始める。
- 2022年12月頃・・よく当たると18歳から趣味でやっていたタロット占いを仕事として頼まれ出す。
- 2023年3月頃・・・さすがに気まずくてタロットカード士の資格を採る。
- 2023年7月頃・・・玉乗りの技を増やし、橋渡りやバケツをかぶって縄跳びを始める。
- 2024年7月頃・・・高さ2mでの玉乗りしながらたいまつをジャグリング。
- 2024年9月頃・・・仕事でなく夜中階段でこけて、小指をひっかけ骨折。
- 2024年9月頃・・・運よく代わってもらえる仕事ばかりで一時休業
- 2024年9月頃・・・骨折しながらでも動ける練習を開始。
- 2024年10月頃・・骨折しながらも復帰。翌2月まで折れていた。
- 2025年1月頃・・・ホテルのカウントダウンイベントにて、巨大スパークバルーンを行う。
- 2025年6月頃・・・大道芸人SOLA20周年公演のチケット発売開始。ファミマでも買えることに感動
- 2025年9月頃・・・大道芸人SOLA20周年公演!

<20周年パンフレットより抜粋>
大道芸を行うにあたって、練習やトレーニングは絶対に必要不可欠なものです。ですが、特に専門的な知識もなく、試行錯誤のジャグリング等の技の練習や中高部活の経験をもとに作ったトレーニングメニューに少しずつネットやTVの知識を混ぜ合わせていった結果妙奇天烈なトレーニングが生生流転していきました。
まずジャグリングですが、僕は技ができないと出来るまでどうしてもやりたくなってしまいます。初めて3個のお手玉をした時も徹夜で投げられるようになるまで挑戦しました。そんな性格だから最長で25時間ぶっ通しで練習したこともあります。この性格のおかげで特に才能があるわけでもないのに大道芸人で居続けられたのかもしれません。この性格、最初のうちは良かったのですが、7個ボールなどの年単位の練習が必要な技になってくると、練習のしすぎで負傷して余計に遠のいてしまうこともありました。
そこで時間でバッサリ練習時間を区切るようになりましたのですが、『5ボール3時間投げっぱなし』『7ボール1時間投げっぱなし』そんなルールを敷いても他の練習も結局するので、テニス肘がどんどん悪化していきました。結婚して、人と生活時間を合わせるようになり練習量がおのずと8時間以内に収まったらテニス肘も治ってジャグリングも安定し、やりすぎないことの大切さを学びました。
仕事を辞めてプロ活動を始めますと、過酷な環境でのショーをする機会が増え、体力トレーニングの必要性を痛感し、色々なものに手を出しました。初めは中高の部活のトレーニングをそのまま、それでは強度が足りないのと関係ないものも多かったので、アレンジをしていきました。プロ活動を始めて最初の頃は3回ショーをするとへとへとで立ち上がれないくらいになっていたので、特に足回りと体力トレーニングに力を入れました。
お客さんというのはシビアなもので1回や2回失敗をしただけでも『シロウトだ』と言われたり、帰ってしまったりする方もいらっしゃいます。炎天下の3回目のショーでも絶対に落とさないために僕は『7個ボールジャグリングをしてキャッチしたらダッシュを30分続ける』というトレーニングを編み出し、長く続けていました。みんなに笑われるのですが、必死だったのです。その後もっと強度を上げるためにジャグリングと分けて、20キロ走や自転車で100km漕いだり、プロレスラーが300回すると聞いたので、スクワットを300回してみたり
…最終2025年一番しっくりきているのは生駒山を『無休憩・無補給・無給水』で大阪側から走って登って、奈良側に走って降りて、奈良側から走って登って大阪側に走って帰るというもの。まだまだ迷走していくかもしれませんが、まだまだ理想の大道芸人には程遠いので、もっと練習をしたいと思っています。